父の怒りと私への教訓

ずいぶん久しぶりの投稿になってしまいました!

月日が経つのは、本当にはやいです。

 

実は、昨日は、父の命日でした。

父が、亡くなってから、もう丸六年もたつのですね…。

 

以前にも書きましたが、

父と私は、けっして仲の良い親子とは、

いえませんでした。

進路のことで、大喧嘩したり。

細かいことでの、大喧嘩も数知れず(笑)

 

けっこうひどい言葉を、お互いにぶつけあって、

ののしりあいのような喧嘩もしましたが。

そんなけんかでさえ、近頃は、懐かしいと思うのですから、

自分でも、ちょっと不思議な気がします。

ただ、もうあんな激しい喧嘩は、ごめんこうむりたいですが(笑)

 

父は、とにかく、不器用な人でした。

特に、他人に自分の思っていることを伝えるのが、

苦手でした。相手が、家族でも、なかなか伝えられず、

それで、イライラして、当たり散らすことも、しばしば。

それで、私ともよく、けんかしたわけですが。

 

父は、死の直前まで、働いていました。

亡くなる三ヶ月ほど前に、一度、

体調が悪化して、お仕事を1ヶ月程、お休みしました。

 

薬が効いて一時的に、体調が回復した父は、

周りが止めたのですが、仕事に復帰したがりました。

そして、その旨を会社に言ったところ、

「1ヶ月も休んでおいて、同じ仕事が、あると思うな。」

と、言われたのだとか。

 

当然、言われた父は、おこりました。

しかもその怒りを、私たちには、言えたのですが。

肝心の手放すことが、できなかったのです。

 

再び体調が悪化した父は、そこをやめたのですが。

辞めた後も、よほど悔しかったのでしょう。

独り言のように「ちくしょう!」と

つぶやいていることが、ありました。

 

娘として、みかねた、私も、

何とか慰めようとしたのですが。

父の心から怒りを追い出すことは、

残念ながら、できませんでした。

 

最後に入院するころには、あまり悔しさを言う事は、

なくなっていたのですが。

それでも、救急車に乗る数時間前、

自宅の玄関付近だったと思うのですが、

やはり「ちくしょう!」とつぶやいているのを、

私は、聞いていたのです。

 

そして、入院してあらためて、検査したところ。

僅か1ヶ月前に、うつしたレントゲンに映っていた病魔の影。

1つだったものが、5つまで増えていました。

 

怒りは、はやく手放さないと、自分の体を蝕む。

私は、その時、強くそう思いました。

 

父の怒りが、勤め先へのものだったのか、

言うことを聞いてくれない自分の病魔へのものだったのか、

なにに向けての怒りだったのかは、

もう知るすべもありませんが・・・。

 

度を過ぎた怒りは、わが身を蝕む。

最後に父が、その身をもって教えて行ってくれた

教訓だと、私は、思っています。

 

今日も、遺影の父にむかって、

おまいりしながら。

 

お父さん、今はもう、怒りは、捨てられていますか?

そして心のそこから、笑いながら、

天国で、わたしたちを見守っていてくださいね。

 

・・・と語りかけたのでした。