父の大晦日の挨拶

もう新年が、明けて10日もたってしまったんですね。

通常運転に戻りつつある日常には、

逆行しているみたいなのですが。

ふと、晦日と新年の父のこと

思い出してしまったので

お話ししたいと思います。

 

皆様のお家でも新年のご挨拶は、

ご家族でなさると思うのですが。

晦日の挨拶って、されますか?

 

わたしの家は、大晦日に、父が、音頭を取って。

「今年も、お世話になりました。

来年もよろしくお願いします。」

とみんなで、挨拶するのです。

それも、恐ろしく、形式的に・・・。

父には、申し訳ないのですが、

小さい頃のわたしは、そう思ってました。

 

大きくなり、

私もみんなやっていることなのかな・・・?

と思って、周りの友達にも聞いてみましたが。

当時の私の友人たちの中には、

そういうお家は、ありませんでした。

その習慣は、結局父が、なくなるまで続きましたが。

亡くなった今では、自然に消滅してしまいました。

 

この父の大晦日の挨拶が、

ひさしぶりに私と母の話題に上りました。

母によると、この挨拶は、

父の実家の習慣だったそうです。

私は、全く記憶にありませんでしたが。

結婚したばかりの母も、

チョット変わったことをするなと

おもったそうですが。

まあ、よいことだし。と思って

何も言わずに受け入れたそうです。

 

 

その後、私が生まれてもその習慣は続き。

私の家でもそれが、続いていた訳ですが。

私が知っている限り、

その挨拶は、形式的だったように思うのです。

それは、母も同感で、

まるで、やらなきゃいけない儀式のようだったね。

と笑っていました。

 

 

なぜ、そう思われてしまったのでしょうか?

それは、日常の父が、非常に無口で、

とても亭主関白の人だったことに

かなり原因が、あるかなと思います。

 

日頃何も話さなくて、時に、暴君と化す?人が、

晦日と新年だけは、決まって

笑顔で挨拶するのですから、

違和感のあること・・・

この上ない(笑)

 

でも、近頃思うのです。

その挨拶も、晩年は、ぶっきらぼうの父なりに

真剣に心を込めていたのじゃないかと。

 

私と父は、決して仲のいい親子じゃなかったし。

大喧嘩の言い合いをしたことも

一度や二度じゃない。

でも、私は、父にその時々で真剣に

ぶつかってきたことは、確か。

 

あの不器用な父が、年に一度、

本気で自分の言葉でしゃべっていたのが、

あの大晦日だったんじゃないか・・・

と、近頃思うのです。

 

思わず父の遺影に話しかけました。

 

気づかなくてごめんね?

でも、今度は、もう少し、日頃からしゃべろうか?

 

遺影の中の父が、かすかにほほ笑んだ気がしました。