せつなさと救急車のサイレン

昨日、用事を終えた帰りがけのバスの中で

救急車が、バスを追い抜いて行った。

救急車のサイレンの音をきくと、

何だか、切なくなる。

 

父のことを思い出すからかもしれない。

父は、4年前に亡くなったが、

最後まで、自宅から、離れたがらなかった。

亡くなるわずか10日前

私は、その父を説得して、

救急車に乗せたのだ。

 

父は、家にこだわる人だった。

駅から遠く、バスなどの便利も

悪い場所だったので、

生活するのが大変そうになってきた父に

「もう少し、便利なところに住み替えよう」

何度提案しても、けっして首を縦にはふらなかった。

 

 

自分の建てたこの家で、最期を迎えたい。

それが、父の願いだったと思う。

あの家は、父にとって、生涯の自分の宝だったのだろう。

 

でも、その願いは、かなわなかった。

あの日、外出先から帰ると、

父は、熱を出してふるえていた。

そばで、母は、うろたえていた。

 

わたしは、とっさに

「救急車よぼう。」

言っていた。

それほど、顔色が悪かった。

 

でも、父は、言った。

「○○病院?」

(かかりつけ医から紹介された中核病院)

 

「そうだよ。私が救急隊にはなしてあげるから。」

 

「・・・」

 

「行きたくないの?」

父は、黙っていた。

でも、あきらかに、行きたくないのはわかっていた。

 

「どこに、行きたいの?」

 

「○○先生。」

かかりつけの先生だった。

 

「でもね、○○先生じゃ、もう手に負えないよ。

専門外だし。」

私は、少しかわいそうにもおもったが、そう言った。

そして、最後は、折れて頷いた。

その後、救急車に乗ったのだ。

 

おそらく、今度、救急車にのったら、

二度と家には、戻ってこられないことを

父は、予感していた。

そして、わたしも予感していながら、

父を救急車にのせた。

 

そして、父は、その10日後に逝った。

父の願いと、

私の娘としての思いが、

ぶつかりあったあの瞬間。

 

救急車の音をきくと、

あの時が、よみがえる。

だから、今もふと切なくなるのだろう。