消せない連絡先

携帯電話の連絡先を見ていて

ふと、A先生の名前が、あるのに気が付いた。

まだ、消してなかったんだ・・・。

と思った。

 

このA先生は、私の初代?のかかりつけ医で、

耳鼻科の先生だ

3年ほど前にお亡くなりになったが、

齢、90歳まで、現役を続けたお医者さん。

 

耳鼻咽喉が、父に似ていて、弱い私は。

随分とお世話になった。

私が、お世話になりだしたのは、

20代の頃からだが、

私の父など、自分が就職して東京に出てきた

昭和34年からの

お付き合いだというから、すごい!

 

一方のわたしが、初めて先生にお会いしたのは、

20代の頃。

扁桃腺が、腫れて熱を出してしまった時のこと。

あいにくの連休中の休日で、

自宅近くのかかりつけ医は、お休み。

休日診療所に行ったものの

容態が悪くなる一方だったため、

父が、先生に頼んでみていただいたのが、

きっかけだった。

 

父が、通いだしたころは、入院設備があり、

手術までこなしていたというやり手の先生も。

私が、初めてお会いしたころには、

すでに初老で。

病室は、閉鎖され、

手術もおこなっていなかったが、

たたずまいは、当時のままで

木造のご自宅と、医院が、併設されていた。

 

当然その日は、先生の所もお休みだったが

 

困っているなら、はやく、連れてきなさい。

と快く診察してくださったのだった。

 

自宅と医院は、はなれているため、

高速道路経由で30分以上かかるが。

先生は、医院を開けて待っていてくれた。

体調も悪く、初めての先生で緊張していた私だったが、

 

「大変だったね。どれどれ、熱高いね。」

とひょうひょうとしたたたずまいで?言って、

先生は、私の額に手を当てた。

その手のぬくもりに、

スーッと緊張と不安が、引いていったのを

今もよく覚えている。

 

それ以来、先生の優しい人柄と。

すみずみまで磨きこまれたまさにレトロ調の医院の

優しいたたずまいに惹かれて、

自宅からは、遠かったが、通い続け、

長い長いおつきあいになった。

それは、90歳で、閉院されるときまで続いたのだった。

 

先生と親しくなっていたわたしは、

個人的にそのあとも、文通していた。

私が、書いた日々のとりとめのない日常の様子や

たまに行った観光地の様子などを書いて送った。

 

先生の亡くなる数か月前、

先生から自宅に電話が、あった。

今日は、気分が、良いから話したくなったと。

それから、数か月もたたないうちに、

先生は、旅立ってしまったが。

先生のお世話をしていたお手伝いさんに

後から聞くと、先生は、

私の手紙を楽しみにしてくれていたのだという。

 

先生とは、かかりつけ医という枠を越えて、

お付き合いできていたのかもしれないと思う。

私にとっても、忘れられない先生。

私の手帳には、

先生と閉院する医院の診察室で撮った写真が、

今も挟まっている。

 

そう。連絡先を消さないのではなく、

私は、今も消せないでいるのだ。

先生と私を今も繋ぐたった一つの痕跡。

それが、あの連絡先なのだ。