サンタクロースと私・心の原風景

今年も気付けば、12月の中旬で、

すっかり年の瀬。

街では、人々が、忙しそうに行きかい、

慌ただしい。

 

でも、そのあわただしさの中でも、

街の至る所に、クリスマスツリーが、飾られていて、

私に、あわただしさとは違う

ワクワク感をくれる。

 

この年齢になると、サンタさんを信じているわけでもない。

家族とのプレゼントの交換も

クリスマスのごちそうも

楽しいには違いないが、

このワクワクとは、少し違う気がする。

 

このワクワク感は、どこから来るのだろう?

 

それは、幼いころの記憶にあることに気付いた。

 

 

もうかなり昔のことになるが、

幼稚園から、小学校低学年にかけて、

私は、東北地方に住んでいた。

当時は、汽車が、1時間に1本あるか、

ないかのかなりの田舎で。

日用品を買う商店も、必要最低限は、揃うが、

選ぶ余地はなかった。

 

それでも、その分、大自然に囲まれ、

のんびりとした、そして、頑固だけれど

優しい人に囲まれた

豊かな時間を、過ごした。

 

 

母は、この地にきても、

クリスマスのケーキや

プレゼントを欠かさなかった。

一人でおいしいケーキ屋さんもみつけてきたし。

そして、この私にサンタクロースの存在を

信じさせることに腐心した。

 

母曰く、

サンタクロースが、信じられて、

存在できるのは、その人の一生のうちの、

ほんのわずかな時間だからなのだそうだ。

 

 

子供のころ、純粋にサンタクロースを

信じていたころの記憶は、確かに、独特だ。

私も、ただただ、純粋に、

サンタクロースの存在を信じて疑わなかった。

 

 

サンタクロースに手紙を書いたこともあった。

 

「お利口にしています。だから、○○を下さい。」

 

今のように、サンタクロースが、

返事をくれるサービス?などないので。

母は、「私が、出しといてあげるね。」

と言って、私の手紙を預かって、

「ふむふむ。これが欲しいのか。」

とおもっていたらしい(笑)

 

 

「サンタクロースは、

なぜ私のほしいものがわかるのだろう?

きっと、本当に私の手紙を読んでくれてるんだ!」

 

信じて疑わなかった私の、クリスマスの朝の

枕元に置かれたプレゼントを見た時の

驚きと興奮の記憶は、鮮烈だ。

 

ある時、母に

「サンタクロースは、どっちから来るの?」

ときいた。母は、咄嗟に、

「あの山の間を抜けて、そりに乗って、来るよ」

と答えた。

 

 

当時住んでいた借家から見える

阿武隈山地(今は、阿武隈高地)の

山の一番南端のフタコブラクダの背のような形の山。

 

その山の間から、粉雪と一緒に

そりに乗って宙を飛びながら、

かけてくる。

そんなサンタクロースのイメージ。

それは、あの頃についたクリスマスの私の原風景なのだ

 

それは、もう何十年もたった今でも変わらない。

クリスマスツリーや、クリスマスに彩られた

街を見ると、あの東北の山の風景が蘇る。

サンタクロースを信じて疑わなかった、

あの頃のドキドキとワクワク感。

 

今も確かに、

私の心の中に住み続けているサンタクロース!

あの東北の風景と、母の腐心がなかったら、

この心の景色は、決して、存在しなかった。

 

今年もたくさんの子供たちのもとへ、

サンタクロースさんの贈り物が、届きますように。

今頃はきっと、サンタクロースの来訪を待つ

良い子が、いっぱいいるんだろうな。